エコロジーレポート第12号
造り続けて150年

 その昔、安政四年(1857年)創業の江戸菓子の老舗(株)榮太樓總本鋪の初代が当時南蛮より渡来していた高級細工菓子アルフェニン(純度の 高い砂糖を使い独特の風味を持った飴菓子)からヒントを得て粗糖のあく抜き、煮詰めの火加減等苦心の末、アルフェニンを日本の飴「有平糖梅ぼ志飴」に変え させたのだそうです。まだ固まりきらない棒状の飴を鋏で切って指でつまむ。そうして出来た小さい赤い三角形の飴を江戸の人々はあの酸っぱい梅干を連想し江 戸っ子らしい酒脱さから「梅ぼ志飴」と名付けてくれました。それから150年江戸庶民が愛した小さな三角の飴が脈々と平成の世にも受け継がれています。

缶の蓋と胴のビートの間にコインを挟んで捻ると「プシュー!」という音と共に減圧された缶が常圧に戻り蓋が開く。ルーツは英国のパイプ煙草の缶と聞いているが、日本での正式名称はなく(コインツイストプレス缶)と名付けてみたが一般的には榮太樓飴の缶という名前の方がよく知られています。

 有平糖梅ぼ志飴・黒飴・抹茶飴・紅茶飴は高温多湿に弱いため密封性があり常圧に戻す迄は内容物の香り・味・形等が保てる缶をそして開けやすい 缶が必要とされていました。それ (コインツイストプレス缶)が最適と昭和42年(1967年)榮太樓總本鋪が有平糖梅ぼ志飴・黒飴・抹茶飴・紅茶飴等の容器にこの方式を採用しました。そ れから榮太郎飴缶が販売されて40年の歳月が過ぎました。

 創業150年を迎え榮太樓飴は「有平糖から始まるあめ物語り」と題し新しいデザインの缶、そして新感覚、新食感の板あめ「羽一衣(はねひとえ)」というネーミングで食べる飴も誕生し益々の発展とさらなる次世代への継承を考えている商品です。


榮太樓飴

協力 / 株式会社榮太樓總本鋪
進和製鑵株式会社
平成19年4月1日
全日本一般缶工業団体連合会 エコロジーレポート 第12号